2008/09/13

「元気」五木寛之(2)

【 諦念。観念。放念。 】
五木寛之著『元気』を読んで2

◆◇------------【 健康法の極意】-------------◇◆

根本的な健康法とは何でしょうか。
体とこころが健康になることでしょう。
体の健康についてはいろいろ語られてきました。
でもこころの健康法は、意外と少ないのです。
こころの健康は、単に、前向き、やる気、頑張りなどでは得られません。
なぜならこころは変化しやすく、形がなく、捉えどころがないために、人それぞれのやり方しかないからです。

五木寛之氏は「元気」のなかで、
「からだ」
「こころ」
「いのち」
に触れてきました。

今回は「こころ」からみた元気になる方法を、この本に沿いながらな考えてみました。
-----------取り上げた本------------------
「元気」
著者:五木寛之著
発行:幻冬舎
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今、痛みに襲われているとします。
例えば、歯痛、頭痛、内臓の痛み、等など。

痛みは、きっと抑えられます。薬、麻酔、或いは、何らかの手術で。

問題は、痛みから解放された後です。
また、痛みがやってくるかもしれません。
本当に、憂鬱です。こころも疲れます。或いは、こころも病むかも知れません。
不安、恐怖、倦怠感、自己嫌悪、いらだち、憂鬱感、絶望、最悪は精神的疾患です。

このこころの状態が、体を一層、痛めます。

このとき、こころの健康が取り戻せたら、体の回復への道が見えてくるかも知れません。
いや、見えてくると思います。

体を治すには、西洋医学、代替医療等でいろいろアプローチがあります。
一方で、こころの健康回復は、これだ、という絶対的なものはありません。

こころは、ある意味では捉えどころがありません。
特に、西洋医学は、こころ、への対応が遅れているといってよいでしょう。
西洋医学は、体・ものとしての体に、ものとしての対応を開発する事で、発展してきたからです でも、こころのあり方は、現実に、いつも問われているものです。
入院する、手術する、治療するという事態になったとき、こころは色々なものに揺さぶられるからです。

治るのか、手術の後臓器が失われてどのような生活ができるのか、再発しないか、費用はどうするか。
退院できたとして、仕事は出来るのか、家族への負担はどうするか、経済面は維持できるか。
こころは、それこそ痛み、傷つき、血みどろで、ふらふらになってしまいます。

健康法は、結局、このこころの問題を抜きには出来ません。

体についてもそうですが、こころの健康も自力で得るしかないものです。

本題です。

こころの健康法をどうするか?


◆◇----------------【 諦念。観念。放念。】-------------------◇◆

五木寛之は「元気」のなかで、こう書いています。

----------------------------引用--------- 病める人間ほど、真剣に元気を望む。
そのためには、どうすればよいのか。わたしはずっとそのことを考え続けて、こういう結論に達した。
大きくわけると、つぎの三つの立場に徹して生きるしかないと思うのだ。
その三つの立場とは、

「諦める」
「観念する」
「手放す」
この三つである。これを要約して漢字にすると、
「諦念」
「観念」
「放念」
と、いうことになる。
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これらの漢字は、否定的なイメージを与えるものですが、そうではないのです。
かいつまんで説明するとつぎのようになります。

■諦める■

それは、自分の状態を冷静に確かめることなのです。
その限界を知り、その枠の中で出来ることをやろうと納得する。
「明らかに究(きわ)める」ことである。
人は老いていくものだと「アキラメル」
人は必ず死ぬものだと「アキラメル」
すべてのものごとは、あすは分からないと「アキラメル」
それはゆうきのいることである。不愉快でも、つらくても残念でも「アキラメル」事実を事実としてはっきり見定めること。

■観念する■

観念とは、観想念仏のことである。
それは、それなりの修行を積まなければ難しい。
五木寛之は、アメリカで話題となったガン治療法のイメージ療法との類似を引きながら、
自分流の観想法を紹介する。
それは自分流の「元気の海」をイメージすることだという。
十代から二十代はブルーにきらめく群青の海。
三十代、四十代は白く輝く銀色の海。
今の私(五木)には五十代から六十代にふさわしい、玄(くろ)くつややかにうねる原初の海がふさわしい。

前回で、紹介しましたが、「元気」とは自然の奥にある、自然全体にいきわたるエネルギーの事です。そして、人はみな、再び、元気の海に帰るのです。

五木寛之の観想はこの根源的なエネルギーの海、命のおおもとの海を強くイメージしようと提案しているのです。

■放念する■

簡単に言えば、日々のあれこれの、切れ切れの思い、心配事にいちいちこだわらない、振り回されない。
浮かんだ想念を手放すこと、です。
心配の種は数限りなくある。一つが現れたら、深追いせず、次の心配事に気向ける。
ひとつのことをふかく追わない。
無責任と紙一重、脳天気といわれてもかまわない。心配事の因果の連鎖にはまらず、つぎからつぎへと放してゆく、そんな感じです。


◆◇----------------【 元気に触れて元気になる。】-------------------◇◆
東洋の医療の思想に共通するのが「気」という考え方です。
元気、大極、天心、いろいろな呼び方とそのバリエーションがあります。
気とは自然を自然たらしめている、おおいなエネルギーと解せます。

体(肉体)の健康を取り戻すのに「気」の世界に帰り、「気」のエネルギーを利用して治癒する考えがあります。

こころの世界もまた、「気」に帰る、触れることで治癒されるのです。

五木寛之の「元気」は、この「気」を「海」の広大な、ダイナミックなイメージに結び付けて語った、「元気の出る本」と言えるでしょう。