五木寛之著『元気』がこころを解き放つ
今までこの100万人の健康読本では、具体的なからだの健康法について取り上げてきました。
しかし、もう一つ、取り上げるべき健康法があるのです。
わたしは、それを、心の健康法と考えていましたが、その優れた一つの本と出会ったような気がします。
「こころ」の考え方自体も変わりました。
いわゆる健康本ではないのですが、ここには、素晴らしい健康法が記されていると思いました。
-----------取り上げた本------------------
「元気」
著者:五木寛之著
発行:幻冬舎
----------------------------------------
「人はみな元気に生まれ元気の海に還る」
このサブタイトルがすべてを要約しています。
タイトルの付け方は、本当に、心憎いものがあります。
これだけでも、私は、強いインスピレーションを感じました。
以下、この本の要約を述べます。
◆◇------------------------ 要約です-------------------------◇◆
■■元気とは宇宙のエネルギー■■
「元」とは、「おおもと」という意味である。根元の、とか、原初のといった語感であろう。
「気」は本来「氣」と書く。
「气」の中に「米」が入っているのが旧字体だ。
この「米」は大地がはぐくんだエネルギーをしめしていると考えたい。
「气」は「雲気」である。「雲気」とは雲と深いかかわりのある雨や。
風や雷など、天空の現象のすべてを象徴する字と考えてもいいだろう。
天のエネルギーである。
この天のエネルギーと地のエネルギーを合わせた表現が「気」という一字と考えてみるのはどうだろうか。
となれば「元気」は天と地、つまりこの宇宙のすべてのものの根元のエネルギーということだろう。
「元気」とは宇宙万物を生みだし、それを生かしているエネルギーの海のことなのだ、と勝手に考える。
私たちは「元気の海」によって産み出され「元気の海」へ還っていく「元気」の一部分なのだ。
■■自分とは自然の分身。「いのち」である■■
野口体操の創始者としてしられる野口三千千(みちぞう)は「自分とは何か」という問いに、ナタでたたき切るような力強い答えを示す。
「自分」とは「自然の分身」である。
私は人間を三つのはたらきを持つ「生きもの」として考えている。
「体力」
「脳力」
「気力」
の三つの能力である。
「体力=からだ」とはいうまでもなく「からだ・身体」の働きである。
「脳力=こころ」とは「感情」と「知性」が入る。
判断や記憶、分析力や総合力、そして喜びや悲しみ、欲望や快楽、不安や希望、それらのものが大なり小なり脳のはたらきであることは、いまではすでに常識だろう。
いままで「こころ」として扱われいていた世界も、やはり「脳」と深い関係があることがわかってきた。
とすれば「からだ」と同様にこころもまたモノである。
「気力」とは根源的なエネルギー=自然=いのちと読みかえてもいいだろう。
かつて有名な分子生物科学者が「人間は遺伝子の乗りものである」というのをなぞって「からだ」と「こころ」は、「いのち」の乗り物である、と。
「からだ」と、
「こころ」と、
「いのち」と、
この三つのものからなっているのが人間である。
■■「いのち」とはモノでなく宇宙のエネルギー■■
「いのち」とはなにか。
一般にいう「自然(しぜん)」とはあくまでもモノとしての「自然である」。
山川草木、動物、地球と太陽系、銀河をふくむ宇宙のすべて、それが科学のいう「自然」である。
わたしの考える「自然(じねん)」は、それと少しちがう。
モノの世界である「自然(しぜん)」、物質世界である「自然(しぜん)」を創りだし、動かしているエネルギーの根元、それを「自然(じねん)」と呼ぶ。
「自然(じねん)」は、いわば「自然(しぜん)」の「いのち」にあたるものと考えればいいだろう。
ではモノではない「いのち」とはいったいなにか。
わたしはそれを「元・気」だと考える。
■■やがて「いのち」は「元気の海」に還る■■
しかしモノとしての人間が死んだことは、人間のすべてが消滅したことではない。
モノでない「いのち=自分=たましい」は、パートナーであった「からだ」と「こころ」と別れて、最初の出発点へ戻る。
そこは私たちに新鮮な「からだ」と「こころ」をあたえて送り出した「いのち」のふるさとであり、自然の根元、すなわち「元・気」の混沌たるカオスである。
それを私は海のイメージとして思いえがく。
人は「元気の海」から生まれてきて、長い旅を終え、ふたたび「元気の海」へ還るのだ、と考える。それはひとつの空想であり物語だ。
私たちは大河の一滴として川を流れくだっていく。
そして河口に達すると、モノである「からだ」と「こころ」に別れ、本来の「いのち=自分=たましい」として「元気の海」に流れている。
◆◇--------------------------- 要約おわり-----------------------◇◆
冒頭に書きましたが、この本はそれこそ「心の健康読本」といえます。
自分のおかれている状況、環境の中で、特に、厳しい健康状態の中にいればいるほど、ここに言う「元気」エネルギーをイメージすることとはとても素晴らしいことではないでしょうか。
◆◇--------------- まずは「元気の海」を取り戻そう-----------◇◆
西洋科学はエネルギーを数量化しました。つまりモノとして捉えました。
エネルギーの単位はジュールで表現できます。
エネルギーの利用で、蒸気機関車を作り、核爆弾を作りました。
同じように、西洋医学は、人間を、解剖学的的に、生化学的に、分子的に捉え、いまでは遺伝子工学の発展、遺伝子操作まで可能な時代となりました。
その延長で、治療の現場でも、患者を「モノ」として捉えがちです。
ここに出てきたように「こころ」もモノである以上、こころを持った患者もやはりモノの延長としてとらえがちなのです。
医師の中には「こころを理解している」ひともいるでしょうが、モノとしての「こころ」を見ている限り、解決はありません。
五木寛之も本書の中で述べています。
「おどろくことは、いまだに患者の気持ちを配慮せずに治療を行おうとする医師が少なくないことだ。
病人はモノではない。人間である。わかりきったことを言うな、と叱られそうだがわかりきったことが現実には無視されている。
」 前回の「がん患者学1」の紹介でもかきましたが、結局は「元気」を取り戻すには自分で挑戦するしかないのです。
「元気の海」
これを心に浮かべ、イメージし、はらを据え、自分の宇宙を肯定することから始まると思うのです。
そのためにもこの「元気」という本はお奨めです。
有力な代替治療法が有るとすれば、この「元気」を呼び戻す治療法ではないでしょうか。
自然療法、食事療法、運動療法、等々。
また、免疫強化、活性酸素除去に役立つ機能性食品もいろいろ有ります。
これらを利用する目的は「元気」を我がものにする、ということだと思います。
今回は、要約に追われましたが、次回、もう少し自分なりに読み込んだ感想をお届けしたいと思います。
「元気」
著者:五木寛之著
発行:幻冬舎
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「人はみな元気に生まれ元気の海に還る」
このサブタイトルがすべてを要約しています。
タイトルの付け方は、本当に、心憎いものがあります。
これだけでも、私は、強いインスピレーションを感じました。
以下、この本の要約を述べます。
◆◇------------------------ 要約です-------------------------◇◆
■■元気とは宇宙のエネルギー■■
「元」とは、「おおもと」という意味である。根元の、とか、原初のといった語感であろう。
「気」は本来「氣」と書く。
「气」の中に「米」が入っているのが旧字体だ。
この「米」は大地がはぐくんだエネルギーをしめしていると考えたい。
「气」は「雲気」である。「雲気」とは雲と深いかかわりのある雨や。
風や雷など、天空の現象のすべてを象徴する字と考えてもいいだろう。
天のエネルギーである。
この天のエネルギーと地のエネルギーを合わせた表現が「気」という一字と考えてみるのはどうだろうか。
となれば「元気」は天と地、つまりこの宇宙のすべてのものの根元のエネルギーということだろう。
「元気」とは宇宙万物を生みだし、それを生かしているエネルギーの海のことなのだ、と勝手に考える。
私たちは「元気の海」によって産み出され「元気の海」へ還っていく「元気」の一部分なのだ。
■■自分とは自然の分身。「いのち」である■■
野口体操の創始者としてしられる野口三千千(みちぞう)は「自分とは何か」という問いに、ナタでたたき切るような力強い答えを示す。
「自分」とは「自然の分身」である。
私は人間を三つのはたらきを持つ「生きもの」として考えている。
「体力」
「脳力」
「気力」
の三つの能力である。
「体力=からだ」とはいうまでもなく「からだ・身体」の働きである。
「脳力=こころ」とは「感情」と「知性」が入る。
判断や記憶、分析力や総合力、そして喜びや悲しみ、欲望や快楽、不安や希望、それらのものが大なり小なり脳のはたらきであることは、いまではすでに常識だろう。
いままで「こころ」として扱われいていた世界も、やはり「脳」と深い関係があることがわかってきた。
とすれば「からだ」と同様にこころもまたモノである。
「気力」とは根源的なエネルギー=自然=いのちと読みかえてもいいだろう。
かつて有名な分子生物科学者が「人間は遺伝子の乗りものである」というのをなぞって「からだ」と「こころ」は、「いのち」の乗り物である、と。
「からだ」と、
「こころ」と、
「いのち」と、
この三つのものからなっているのが人間である。
■■「いのち」とはモノでなく宇宙のエネルギー■■
「いのち」とはなにか。
一般にいう「自然(しぜん)」とはあくまでもモノとしての「自然である」。
山川草木、動物、地球と太陽系、銀河をふくむ宇宙のすべて、それが科学のいう「自然」である。
わたしの考える「自然(じねん)」は、それと少しちがう。
モノの世界である「自然(しぜん)」、物質世界である「自然(しぜん)」を創りだし、動かしているエネルギーの根元、それを「自然(じねん)」と呼ぶ。
「自然(じねん)」は、いわば「自然(しぜん)」の「いのち」にあたるものと考えればいいだろう。
ではモノではない「いのち」とはいったいなにか。
わたしはそれを「元・気」だと考える。
■■やがて「いのち」は「元気の海」に還る■■
しかしモノとしての人間が死んだことは、人間のすべてが消滅したことではない。
モノでない「いのち=自分=たましい」は、パートナーであった「からだ」と「こころ」と別れて、最初の出発点へ戻る。
そこは私たちに新鮮な「からだ」と「こころ」をあたえて送り出した「いのち」のふるさとであり、自然の根元、すなわち「元・気」の混沌たるカオスである。
それを私は海のイメージとして思いえがく。
人は「元気の海」から生まれてきて、長い旅を終え、ふたたび「元気の海」へ還るのだ、と考える。それはひとつの空想であり物語だ。
私たちは大河の一滴として川を流れくだっていく。
そして河口に達すると、モノである「からだ」と「こころ」に別れ、本来の「いのち=自分=たましい」として「元気の海」に流れている。
◆◇--------------------------- 要約おわり-----------------------◇◆
冒頭に書きましたが、この本はそれこそ「心の健康読本」といえます。
自分のおかれている状況、環境の中で、特に、厳しい健康状態の中にいればいるほど、ここに言う「元気」エネルギーをイメージすることとはとても素晴らしいことではないでしょうか。
◆◇--------------- まずは「元気の海」を取り戻そう-----------◇◆
西洋科学はエネルギーを数量化しました。つまりモノとして捉えました。
エネルギーの単位はジュールで表現できます。
エネルギーの利用で、蒸気機関車を作り、核爆弾を作りました。
同じように、西洋医学は、人間を、解剖学的的に、生化学的に、分子的に捉え、いまでは遺伝子工学の発展、遺伝子操作まで可能な時代となりました。
その延長で、治療の現場でも、患者を「モノ」として捉えがちです。
ここに出てきたように「こころ」もモノである以上、こころを持った患者もやはりモノの延長としてとらえがちなのです。
医師の中には「こころを理解している」ひともいるでしょうが、モノとしての「こころ」を見ている限り、解決はありません。
五木寛之も本書の中で述べています。
「おどろくことは、いまだに患者の気持ちを配慮せずに治療を行おうとする医師が少なくないことだ。
病人はモノではない。人間である。わかりきったことを言うな、と叱られそうだがわかりきったことが現実には無視されている。
」 前回の「がん患者学1」の紹介でもかきましたが、結局は「元気」を取り戻すには自分で挑戦するしかないのです。
「元気の海」
これを心に浮かべ、イメージし、はらを据え、自分の宇宙を肯定することから始まると思うのです。
そのためにもこの「元気」という本はお奨めです。
有力な代替治療法が有るとすれば、この「元気」を呼び戻す治療法ではないでしょうか。
自然療法、食事療法、運動療法、等々。
また、免疫強化、活性酸素除去に役立つ機能性食品もいろいろ有ります。
これらを利用する目的は「元気」を我がものにする、ということだと思います。
今回は、要約に追われましたが、次回、もう少し自分なりに読み込んだ感想をお届けしたいと思います。