2008/09/01

ガンから始まる

生きるとは、日々の営みとみつけたり

岸本葉子「がんから始まる」晶文社刊より。


∞∞∞∞ がんを境に人生が変わる ∞∞∞∞

今までの生活をがらりと変える出来事は色々あります。
「がん」と判明したときもそうです。

この本のタイトル「がんから始まる」というのは、がん患者にとって、とても実感のわく言葉ではないでしょうか?
さて、著者は2001年10月。40才で虫垂がん、S状結腸浸潤が判明。
そして、虫垂、S状結腸の一部、周辺の腹膜、リンパ腺の切除手術を行ないます。

著者の生活は、この時を境に大きく変わります。

手術の時点を、著者は、後に回想してこう記しています。

「今も覚えている。
手術台の上、緑色の厚いおおいの下で、硬膜外注射の針を刺すため、身に着けているものをはずし、横を向いた。
この世に生まれてきたときと、まったく同じ、何もまとわぬ姿となって、背中を丸め、膝を抱く。
(胎児の姿勢のようだ)と、感じた。」

∞∞∞∞ 生きる意志が生まれてくる ∞∞∞∞

がんによって、新たに生まれかわる、或いは、何か大きなものが変化する。
著者の場合は、体内に何か新しいものが生まれてくる感じを述べています。

「やがて、麻酔から醒めたとき、腹腔内の腫瘍を切除されたあとの自分が、いた。
何かを産んで、何かが生まれた。
あのとき、取り出された腫瘍と入れ替わりに、私の中に宿った何かは、少しずつ育っている。
何に成長していくかは、わからない。私の内なる、未知のもの。生きる意志? そう、今はその姿をとっている。私の生は不確実だが、生への意志は、確かに脈打つのを感じる。」

新たに生まれようとしているのは「生への意志」だ、ということです。

これは、手術後2年近くたってからの感想です。

第1部では、検査、入院、手術、退院という生活の流れが感情を抑えて描かれています。
入院を前にして、デパートでのパジャマの選択や、手術前の呼吸法の訓練、手術後の回復訓練生活などはユーモラスでさえあります。

ところで、手術あと、根本的な質問を医者に問う場面があります。

∞∞∞∞ 『結局のところ、私は治ったのか?』・・と。 ∞∞∞∞

「結局のところ、私は治ったのか?」著者は問います。

その答えが、当然といえば当然、拍子抜けといえば拍子抜けです。。医者は答えます。

「それは、五年が経ってみて、わかることなんです」と担当医は言った。」

「現段階でいえるのは、手術で、取るべきものは全部取れたということ。
それによって治ったかどうかは、五年間が、再発なしに過ぎて、はじめていえることなのだ、と。
 生きてみなければ、わからないのだ。

生きてみなければわからない。------これはある意味では皮肉な名言だと思います。

オレンジの味は---食べてみないとわからない。
恋の味は--------恋してみないとわからない。

これと同じ、答えのようで答えでない・・そんな感じに思えます。

がんは当然、リスクをもってそこに存在しています。
再発、亢進、病態変化。

しかし、がん特有のあり方として、明日即死ぬのではないのです。
短かろうが、長かろうが、そこには生きている時間があるのです。
この生きている時間に何が起こるのかは、生きてみなければわからない。
そういううことになります。

手術も無事済み、体力も回復し、いよいよ退院です。
退院を前にしたある日、著者はこう思います。

「せっかくこの世に生まれてきて、しかも一回きりならば、この事いなる人生を、できるだけ長く享受したい。
生きて何をしたい、かにをしたいという以前に、生きることそのものが、私は好きだと、わかったのだ。
入院生活最後の晩は、ブラインドを閉めずにおいた。
十一階からの、この夜景も見おさめだ。見おさめにしなくては。
このまま、ブラインドを開けて、寝よう。横になれば、窓の外は見えなくなってしまうけれど、家々の灯り、街の灯りが点いていることを、感じながら、眠りにつこう。
そして暁には、日が昇るのを。
星々や月と、太陽とが交代し、空を満たす光に、目を覚ます。
希望、という語が、ごく自然に、胸の中に降りてきた。その言葉を、忘れずにいたい。
受容を心の片すみに、まん中には希望を置いて、退院後を生きていく。」


∞∞∞∞ 私は私の主体でありたい。 ∞∞∞∞

そして、第2部の退院しての「がん」のある生活が始まります。

著者の身辺が記されていきます。

回復はしたが、やはり。再発の不安。生活の不安。
ものの見方が変わったのに時々気づきます。

例えば、自分よりも年老いた人を見る感情です。

「その年まで、生きているだけでスゴイ」と感じるのです。


私は私の主体でありたい。
再発リスクに伴う苦しみとは、このことか。
死にたくない。生きたい。
その思いはむろんあるが、再発の不安は、そうした生物的本能だけでなく、「人間でありながら、自分の未来に、主体的に関与することができない」という、実存的な苦しみでもある。
人間。
この未来を企図し、意志する者に生まれながら、がん患者として生きることは、人間としての主体性を、がんに譲り渡すまいとする、不断の格闘なのだ。
「共生」という言葉では、私は語れない。
人間としての自由を、主体性を奪おうとするこの病に対し、「闘う」という意識がまだ強い。
それはそれで、人間の尊厳を守るための、じゆうぶんに取り組む価値のある、精神的営みとはいえまいか。
人生の主体でありたい」


では、主体として生きるとはどういうことか、何か、修行なり、訓練なり、特別な方法が、必要なのか?

著者は、幾つかの突発的な出来事を通過したのち考えます。

「一年先の約束はできなくても、だからといって、明日死ぬわけでもないと知っている。再発までは、日常生活も、仕事も、ふつうに続けられるということも。
「生きるとは、日々の営みとみつけたり」と言っては、おおげさだが、私にとっての日常は、筋金入りとなったのだ。
がんを患ったからといって、別人のように生まれ変わるのではなく、これまでの延長上で、仕事をしたい。」


ここには、ある悟りとも呼ぶべき境地があるようです。

生きるとは、日々の営みと見つけたり・・・・

静かな、しかし、確かな手ごたえを感じる言葉です。


■「がんから始まる」晶文社発行
■著者・岸本葉子
エッセイスト。1961年神奈川県生まれ。女性の生き方、考え方などを、身辺雑記を中心に、真摯で楽しいエッセイとして発表してきた。
■病歴:
虫垂がん。S状結腸浸潤。40才で発症。2001年10月。 虫垂、S状結腸の一部、周辺の腹膜、リンパ腺切除。